伊是名夏子氏が、乗車拒否をされたとして炎上したブログ。
今回の炎上を受けた擁護派が、「声のあげ方が間違っている」という批判を受けて、返す言葉が「ではどうやって声を上げたらいいのかという」ことだった。
伊是名氏が、声を上げたのはブログであるため、コラムニストでも何でも無い私が、参考になればと思い勝手に「私だったらこう声をあげる」という擬似的なブログを書いてみることにした。
※以下はすべてフィクションです。
タイトル:「乗車拒否を感じた鉄道会社の対応と駅の設備、コロナ渦の中、大切な家族と親切なヘルパーを連れて旅行にいってことのすべて」
私は、2児の母であるとともに、車椅子での生活をしている障碍者です、今回家族連れでの熱海の旅行をした際に、不快に感じるできごとがありました。
バリアフリーが叫ばれる中で、日本有数の観光地である熱海駅の隣接である来宮駅(有名な、来宮神社の最寄り駅)が、いまだに車椅子に対応できていないことや、バリアフリーや、障碍者差別禁止法へ対する配慮が欠けていました。
まだ、現場の駅員さんにまでは浸透していない。
東京からも近い日本有数の観光地で、いまだこのようなことが起こるのは、納得がいきません。
現場で対応してくれた駅員さん達へは、とても感謝していますが、来宮駅の設備や、小田原駅での「乗車拒否」を感じさせる対応は許しがたいものでした。
普段は、比較的温和な私ですが、ここまでの怒りを感じたすべてをつづります。
旅の始まり
コロナ渦で、旅行などが世間から冷たい目でみられることもありますが、今回、熱海に旅行にいったきっかけは、子供たちに「今年は沖縄のおじいと、おばあに会いに行こうね!」と約束してしまったことからはじまります。
ただ、日程を調整している中、沖縄でも新型コロナウィルスの感染拡大が見える中で、さすがに沖縄にも行くことができず、私は、比較的近隣で観光名所でもある熱海に旅行をすることで、代わりの楽しみにしてもらおうと思いました。
大人なら事情を説明すれば我慢できるかもしれませんが、好奇心旺盛な子どもたちから、この楽しみを全て奪うことは、とてもできませんでした。
楽しみな旅行先、神社、ランチ、ホテル
旅行では、来宮神社を観光し、美味しそうな料理のあるレストランを予約。
子どもたちの食べたいものを優先に選び、宿泊施設も、設備・子どものはしゃぎ具合などを考慮し最善と思われるホテルを選びました。
みんなで、「あれがいい」「これがいい」と意見を言い合いながら決めたレストランやホテルは、家族・友人で決めました。
ひさびさに子どもたちの輝きがある眼を見ることができたかもしれません。
旅行前日、子どもたちは楽しみで興奮し、なかなか寝付いてくれずに、「明日だいじょうぶかな!?」と心配になるぐらいでした。
当日の朝は、逆に緊張してすぐに起きたようで、無事に出発できました。
おじい・おばあには会えないけど、その代わりに存分に楽しむぞ!!
楽しい旅行は、小田原駅の対応で一変した
旅は小田原駅まで到着しました。
小田原駅からは、熱海駅を経由して、目的地である来宮駅までの乗車予定です。
小田原駅では「来宮神社に行きたいので、来宮駅で下車したい」と伝えました。
すると、駅員から「来宮駅は階段しか無い(エレベーターがない)ので、下車できません」と言われました。
車椅子生活の長い私は、普段から電車を利用しており、今まで利用したエレベーターの無い大半の駅では、駅員さんが車椅子をもって下車させてもらっていたので、大変驚きました。
駅員「エレベーターがないので熱海駅までのご案内となります、来宮駅では下車できません」
ここは日本有数の観光地である熱海で、来宮神社も観光客が多くいる場所です。
事前に見た鉄道会社のウェブサイトでは、バリアフリー情報には設備はなかったものの、事前の連絡が必須とも記載していなかったため、大変驚きました。
私「どうしても来宮駅で降りたいのです。」
事前に計画した旅行行程では、来宮駅から徒歩で神社まで向かい、その後、予約していたレストランを利用する予定でした。
みんなで楽しみにしていた行程で、ここが狂ってしまうと今後の行程に支障が出ます。
来宮駅から神社までは、車椅子でも子供の足でも徒歩で十分行ける距離ですが、熱海駅からではとても歩いていける距離ではありません。
道の経路も不明ですし、しっかりと車椅子を歩道ですすめる幅があるかも確認できていません。
駅員「どうしても来宮駅までは無理です」
降りられないということは、乗車を拒否されているのと一緒。
愕然としました、いままで立てていた旅行計画、子どもたちとの約束、すべてが崩れてしまう、それだけはどうしても避けなければ行けない…
無理と言われても、こちらも引けない部分がある、手間がかかってしまうとわかっても、無理を聞いてもらうしか方法が無い。
駅員「無理です、熱海駅までが限界です、神社まではタクシーでいかれてはいかがですか?」
しかたなかった、何度もお願いしても、来宮駅までは無理と言われた。
予定の電車を乗り過ごしてもお願いを重ねたが対応ができないと言われた。
私は熱海駅で降りることを選んだ、子供にも長い徒歩を強いることになるかもしれない、交渉に長い時間を費やしてしまったため、疲労はさらに蓄積されているでしょう。
私の経験では、車椅子に対応したタクシーは1ヶ月前に予約しないと手配できないこともあり、辛い思いをしている。
しかも、私、友人、ヘルパーの大人3人+2人の子供、車椅子の面積を考えるとタクシーは2台手配する必要がありそう…
どうしようかと悩みながらも熱海駅へ
小田原駅から乗車した電車内では、「どうしよう、どうしよう」と戸惑っていました。
結局、電車の旅は熱海駅で終わってしまうのです、そこから先は自分で考えなければいけない。
みんなで決めた旅程とはいえ、主導権は私が握っている、みんなを迷わすわけには行かない、楽しみにしていた旅行をつまらないものにしてはいけない。
「みんなのこの先の心模様は私が握っているんだ」という重圧と焦りで、電車から見える景色は私にとってモノクロの世界でした。
熱海駅に到着すると、駅員さんらしき人たちが4人ほど、私達の乗った車両のドアの前で待っていました。
「え?人がいっぱいいる!」戸惑いを隠せませんでした。
先の小田原駅で、来宮での下車は無理と伝えられていたので、なぜ4人も駅員さんがいるのかがわかりません。
「駅長の○○です、今回は特別に来宮で下車することが可能です」
「今の時間は、駅長である私がいたために特別に取れた対応です。」
いままでは白黒にしか見えなかった風景が、色鮮やかに見えた。大げさに言えば一面が花畑だ。
人間不安を抱えていると目の前が、なんとつまらなく見えるものかを実感しました。
来宮駅に到着し、駅長と駅員の4人がかりで車椅子をおろしてくれました。
ゆっくり、慎重に、一歩ずつおろしてくれる。車椅子も相当な重量があります。
私の無理を通してしまったことで、4人に怪我などがあっては心配なので、後ろからそっと見守った。
その姿を撮影させてもらった。
「ありがとうございます」
階段をおろしてくれた私は、4人に御礼した。
1時間ほど時間外れてしまったが、これで、予定通りの旅程がすごせると思い、ほっとしました。
翌日の帰りも来宮駅での乗車が可能ということで駅長と約束することができたうえ、次回の旅行のときも事前に連絡した方がよさそうなので、連絡先を頂きました。
あれ?とりあえずスムーズに行ったけど何かが違う
ほっとしたら急に冷静になってきました。
なぜ私はこんなにドキドキしたのでしょう、なぜこんなに不安にかられたのでしょう。
楽しいだけのはずだった旅行で、すでに精神的な疲労を大きく感じています。
「健常者の方だったらこんなに苦労しないのでは?」
ふと思い出しました、「障害者差別解消法」で、障碍があっても健常者と同じ用にスムーズに使えるように努力する義務があったはずだ!
・なぜ私はこんなに苦しい思いをしなくてはいけなかったんだろう。
・来宮駅では降りられないなんて、言われなければいけなかったんだろう。
・来宮駅に設備さえあれば、駅長などに手伝ってもらわなくても良かっただろう。
・せめて調べたときの駅のホームページに連絡先が書いてあれば連絡できたのに。
通勤時に電車が人身事故にあった、あなたならどうしますか?
私以外にも同じような境遇の人が何人いるのでしょう…
失ってしまった時間や、感じた不安、焦燥、今感じている憤りは、もう取り戻せない。
こんな社会でいいのか、こんな駅でいいのか、本当にこれでいいのか。
想像してほしい、あなたや、あなたの大切な人が、とても楽しみにしていた旅行が、こんなことで台無しになってしまうことを。
私からする、とこれはもはや交通事故だ。
たとえば、朝の通勤で、電車が人身事故のせいでとてつもなく遅れることがあるでしょう。
仕方の無いことだとわかってはいても、スマホを見てイライラする人、駅員に詰め寄る人、
ごめんなさい、ごめんなさいと電話しながら会社に遅刻を報告する人。
人身事故での遅刻は自分自身の責任ではないということを多くの方が思っていることでしょう。
でも謝らなければ行けない。
私も同様です、車椅子という移動を使うことは、私の責任ではありません。
そこに設備がないことや駅員・人員が配置されていないことは、人身事故と同じ感覚なのです。
しかも、偶発ではなく必然的に、日常で起っているのです。
誰でも気軽に電車が乗れるように駅や設備には改善を求めます。
私一人の声ではとても届かないので、少しでも憤りを感じたり、共感して頂ける方は、コメントやシェアなどで拡散してほしいのです。
小さな声やコメント、シェアなどのアクションでも、数が集まれば大きな力になります。
もし、この記事を見ていただいている方や大切な人が、この先の未来、同じような境遇になった場合に必ず役に立つと思います。
どうか、「あなたなんか知らない」「私には遠いことだ」と思わずにご協力ください。
人身事故がいつ起こるかわからないように、あなたにとって決して遠くない出来事です。
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